02-02900 万代八幡宮

万代八幡宮もづはちまんぐう


[万代八幡宮挿絵 全景]


[万代八幡宮挿絵 右]
履中天皇陵りちうてんわうのみさゝき
万代もづ南鳥居
百濟川くだらかは古蹟こせき


[万代八幡宮挿絵 中]
万代八幡宮もづはちまんぐう


[万代八幡宮挿絵 左]
土師はじ村は万代もづほとり
上古土師氏の所居といふ今も其裔孫ゑいそんありとぞ
垂仁帝すいにんてい英臣ゑいしん土師宿禰はしのすくねは希代の賢臣けんしんそのうへ勇猛ゆうもうなる事
本朝ほんてうの史記或は諫奏録かんそうろくにも見へたり
又河内國にも同名あり今道明寺と云

毛須莊もずのしやう赤畑村にあり百舌鳥もず 裳伏 毛受 藻伏とも書す
むかしは土師郷也
仁德帝此地に於て初てたかを得給ひさけきみをしてかはしめ給ふ
これ鷹匠の始り也
新葉 和泉國万代の別宮に叅籠しける時よめる
  民やすく國おさまれと祈るかな人のひとよりわか君のため  二品法親王深勝

祭神さいしん

中央應神をうしん天皇 ひだり住𠮷すみよし 右春日かすが
神㓛皇后しんくうくはうくうあはせ奉る
欽明きんめい天皇の御宇神託によつて此ところに神殿を造営し給ふ
いにしへは社頭巍々きゝたり兵火にかゝつって荒廢くはうはいし今本殿 神宮寺しんぐうじ 鐘樓しゆろう 繪馬殿 弁天社 藥師堂あり
西に御廟山あり 前に百濟くたら川 別當は重樂院といふ

延喜諸陵式曰
惠我ゑがの藻伏もふす山岡やまをかみさゝき輕嶋明宮かるしまあきらのみや御宇あめがしたしろしめす 應神天皇をうしんてんわう河内國かわちのくに志紀郡しきこほりにあり
今これをかんがふるに藻伏もふ 百舌鳥もず同訓どうくんなるゆへ後人こうじんあやまり混ずるものならん
又社説云
應神天皇初百舌鳥もず野にかくし奉る
後改て譽田こんたに遷し奉るものなりとぞ

 

今に見る万代八幡宮(百舌鳥八幡宮)


深井畑山宿院線(バス通り)に奉納された鳥居
名所図会挿絵では南鳥居と記されています


南の鳥居の横に建てられた石碑


鳥居から望む参道
百舌鳥川(百済川)に架かる石橋『太鼓橋』も見えます


本殿・拝殿前の階段


鳥居に掲げられた扁額「八幡宮」
扁額には「正三位勲二等侯爵大久保利武謹書」と記されています

大久保利武

明治維新の元勲 大久保利通の三男にして、1912年(大正元年)12月から1917年(大正6年)12月まで大阪府知事に就任されています。
その間にこの扁額の「八幡宮」を揮毫したものと思われます。


階段を上り境内から望む拝殿


明治八年、明治維新の元勲大久保利通卿が参拝おり揮毫された拝殿の扁額「八幡宮」


斜めから見た本殿、幣殿、拝殿


百舌鳥八幡宮案内板

百舌鳥八幡宮案内板には、次のように記されています。

百舌鳥八幡宮

 祭神は、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、春日、住吉大神を配祀している。
 社伝によれば、神功皇后が外征の帰途、この地において幾万代まで天下泰平を祈願されたことにより、当地を万代もずと称し、ここにいつきまつられたと伝えられる。
 中世の保元年間には石清水八幡宮の別宮となり、当地は石清水の荘園となった記録がある。また南北朝時代に恒明親王の献詠や応安年間に大内義弘氏の寄進など、江戸時代には毎年堺奉行の参向など古くより公武の崇敬が厚く、現在も厄除開運として市民の信仰が厚い。
 秋祭は旧暦8月14、15日に行われ、月見祭として広く知られ、放生会や茶会が催され、特にふとん太鼓の勇壮華麗な宮入が有名で数10万の人出で賑う。
 現在の社殿は享保11年(1726)の建立で、昭和46年に修復され、社前の楠は枝葉八方に広がり大阪府の天然記念物に指定されている。

堺市


拝殿前のご神木「楠」


「百舌鳥八幡宮のくす」案内板


絵馬殿

堺市 百舌鳥八幡宮

百舌鳥の地名

 百舌鳥の地名は、仁徳天皇陵、履中天皇陵など多くの御陵がある「百舌鳥古墳群」の名で、全国的によく知られています。
 日本書紀に「百舌鳥」の地名のことを次のように書かれています。
 『仁徳天皇六十七年冬十月、河内国石津原(かわちのくにいしづはら)に行幸(みゆき)あって、陵地を定め、始て陵(みささぎ)を築(つか)しめ給ふ日、鹿(かのしし)、野中より走来て、役民(えきみん)の中に入り、忽(たちまち)、仆(たお)れ死にける。人皆、其卒死(そつし)をあやしみて、痍(きず)を探るに、百舌鳥、耳の中より出て飛去(とびさり)ぬ。是故に、耳中を視るに、悉(ことごとく)、咋(くいさき)割(かき)剥(はげ)たり。於是(ここにおいて)、其所を号(なづけ)て、百舌鳥耳原(もずみみはら)といふ、其、是縁(このもと)也。云々。
同帝八十七年春正月、天皇崩す。冬十月、百舌鳥野の陵に葬(かく)す。』
[仁徳天皇が、西暦379年10月、河内国の石津原に出向いて陵の造営場所を決め、工事をはじめたところ、突然、野の中から鹿が走り出てきて、陵造営の工事をする人たちの中に飛んで来て倒れて死んだ。人々は鹿が突然死んだのを見て不審に思い傷を調べると、鹿の耳からモズが飛び去った。鹿は耳の中を食いさかれていた。モズは、小さな身体で、工事をする人を鹿の災いから守ったのです。このことから、モズの働きを讃えこの地は百舌鳥耳原と名付けて呼ぶようになった。] という内容です。

 また、百舌鳥八幡宮略記によると『神功皇后三韓征討し給い、難波の地にご帰還なされし時、この地に御心を留められ、幾万年の後までも鎮りて、天下泰平民万人を守護なすと云う御誓願を立てになり、よってこの地を万代と呼ばれるようになったという云う。』

 「もず」の字は「百舌鳥、万代、毛受、毛須、裳伏、藻伏」とも書かれてきました。

 堺市では、市のシンボルとして「市の鳥」を制定しています。堺市のシンボルである仁徳陵。そこに語り継がれる仁徳天皇とモズの出会いの伝説から、地名の「百舌鳥」がうまれたこともあり、市民に大変親しまれている「モズ」が選ばれています。
 また、同様に大阪府のシンボル「大阪の鳥」としても、モズが選ばれています。

百舌鳥八幡宮

 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町にある百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)は、6世紀欽明天皇(第29代 在位539年~571年)の時代に創建され、その後、後白河天皇(第77代 在位1155年~1158年)の時代に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の別宮となった伝えられています。
 御祭神は、応神天皇(誉田別尊ほんだわけのみこと)。神宮皇后(応神天皇の御母:息長帯比賣命おきながたらしひめのみこと)、仲哀天皇(応神天皇の御父:足仲彦尊 たらしなかつひこのみこと )、住吉大神、春日大神が配祀されています。
 また、百舌鳥九町の氏神「八幡さま」として親しまれています。
 境内には、拝殿に大久保利通卿揮毫の額面、そして大久保利通卿三男で大阪府知事を歴任された大久保利武卿の揮毫の額面が本殿前鳥居に掲げられています。また、大阪府天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨木楠樹は八方に枝葉を茂らせ威風堂々としたものがあります。
 百舌鳥八幡宮の秋祭りは、仲秋の名月に当たる旧暦8月15日にかけて行われるため「月見祭」と呼ばれ、古くから堺、泉州の人々に親しまれてきました。
 この祭りは、稲の豊作を祈る祭りと、八幡宮に伝わる放生会(ほうじょうえ)と、満月を祝う風習とが合わさって百舌鳥八幡宮の例祭になったと言われ、約300年以上の伝統があります。
 昭和の初期以降は、月見祭に勇壮華麗なふとん太鼓を氏子八町が奉納することでも有名となっています。
 ふとん太鼓は、大人が担ぐ「大太鼓」と子どもが担ぐ「子太鼓」合わせて16基のふとん太鼓が奉納されていました。
 平成15年度月見祭からは、昭和36年に発生した第2室戸台風により太鼓庫ともども壊れ以来中断していた土塔町ふとん太鼓が43年ぶりに復活し18基のふとん太鼓が奉納されています。
 太鼓台には、太鼓を叩く4名と「はやし歌」を歌う4名、小学生計8名の「乗り子」が乗りこみ、担ぎ手は、その太鼓の音と「はやし歌」にあわせ足を揃え担ぎます。
 また、祭り当日、百舌鳥八幡宮の境内でふとん太鼓を担ぎ奉納する時に、スモークの中から真紅のふとん太鼓を担ぎ出してり、キャノン砲で紙ふぶきを飛ばしその中でふとん太鼓を担いだりと、各町が競い合っていろいろなイベントを企画しより楽しい祭になるように励んでいます。

 

百舌鳥八幡宮について

御祭神

応神天皇
配祀 神功皇后
   住吉大神
   春日大神

由緒

 所伝によれば、神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられています。その後社運次第に隆昌に赴き、朝野の崇敬愈々厚く、王朝時代には社僧四十八ケ寺、社家三百六十人、神領寺領八百町歩を擁しました。

 古い記録としては、現在滋賀県長浜町に応安六年在銘の古梵鐘があります。これはもと本社の什物です。その銘文中に「近衛天皇の仁平年間に本社の梵鐘が鋳造された」旨記されています。又、山城石清水八幡宮所蔵の古文書には、後白河天皇の保元三年に、当社が石清水八幡宮の別宮となっていたことが見えます。また後宇多天皇の建治年間には、三百石の年貢米を本宮たる石清水八幡宮に納めていたことが記されています。

 又、新葉和歌集には「和泉国万代別宮に参籠し侍りける時よめる」として 「民安く国治まれと祈るかな、人の世よりもわが君の為」という二品探勝親王の御歌が載せられています。親王は亀山天皇の皇子恒明親王の王子であらせられ、南北両朝戦乱の世を憂い給うの余り、当社に参籠されました。このように当時皇室の御帰信の深かったことが知られます。前記、応安六年在銘の梵鐘を奉納したのは当時和泉国の領主であった九州の豪族大内氏であり、このように武家の崇敬も厚かったです。その後、大内氏の和泉に於ける兵乱や、降っては元和元年大阪夏の陣の兵火等、度重なる災禍を蒙った為、次第に昔日の壮観を失い、什宝、古文書等も多く散逸しました。しかし、その後もなお当社は地方信仰の中心として重んぜられました。徳川時代に於ても、青蓮院宮・町尻家・随心院門跡・土屋候その他より奉納寄進などのことあり、近くは明治八年大久保利通卿が参拝され、拝殿の額面を揮毫されました。なお、大阪城代の交替の際には、必ず当社に参拝するのが例とされました。また、毎年の例祭には堺町奉行が参向する定めとなっていました。公武の帰信既にかくの如くであったことからも、庶民の崇敬の厚かったことも当然でありました。氏子の信仰はもちろん、古来、大阪市、堺市及び近郊の人々の参詣多く、江戸時代に大阪堂島より二三百人の大団体が献納物を奉じて賑々しく参拝したことが記録に見られました。堺市の如きは準氏子地の如き関係を有し、現在でも厄除開運として市民の信仰が深いものがあります。

社殿及び境内

 社殿は南面し本殿・幣殿・拝殿・東華門・西華門を具備、江戸時代の建築であり昭和四十六年に修復されました。社殿の大きさは府下屈指と言われます。外に若宮社・市杵島社・稲荷社・招魂社・絵馬殿・神庫があります。社域約一万坪、地形起伏して老樹があり、池があります。中でも社前の巨木楠樹は樹齢約八百年で、府、天然記念物に指定されています。それは枝葉八方に拡がり偉観人を驚かせます。

摂末社

若宮社
市杵島社
水神社
稲荷社
招魂社

附近の史蹟

 百舌鳥は又百舌鳥耳原とも呼ばれ、古くは「毛受」「毛須」「万代」等の字を当てられたこともあります。
 仁徳天皇は特にこの地を好ませられ、屡々鷹狩を催し給い、遂にその陵地と定められました。わが国最大の前方後円墳として有名な仁徳御陵は、当社の西約二キロにあります。その他当社の西方の地にある御廟山と称する前方後円墳を始め、付近には大小多数の古墳があります。いわゆる百舌鳥古墳群は学問的にも有名であります。

【出典元:百舌鳥八幡宮ウエブサイト

 

百舌鳥八幡宮

百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)は、大阪府堺市北区にある神社。旧社格は府社。約1万坪の境内の中には大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスが茂る。

歴史

神功皇后が三韓征伐の帰途、この地において幾万代まで天下泰平民万人を守ろうとの御誓願を立てたとし、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇(532年 – 571年)の時代、この地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。

天平元年(729年)、行基によって境内に神宮寺として万代寺が建立され、百舌鳥八幡宮の奥の院となった。後にはまた別に神宮寺・重楽院も建立された。

平安時代には僧坊48ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を擁する寺院となるが、保元3年(1158年)時点では石清水八幡宮の別宮となっていた。

戦国時代や慶長20年(1615年)の大坂夏の陣などで荒廃する。

江戸時代、大坂城代が替わる度に、この神社に参拝していたという。

明治時代になると神仏分離によって万代寺とは分離し、重楽院は廃寺となった。また、府社に列せられている。

現在の社殿は本殿が享保11年(1726年)、拝殿が文政13年(1830年)の建立で、1971年(昭和46年)に改修された。

祭神

主祭神 – 応神天皇
配祀神 – 神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神

境内

本殿 – 享保11年(1726年)再建。
拝殿 – 文政13年(1830年)再建。
若宮社
招魂社
絵馬殿
神庫
社務所
稲荷社
放生池
市杵島社
水神社

文化財

大阪府指定天然記念物

百舌鳥八幡宮のくす – 樹齢約800年の神木。胸高径1.8メートル・幹周5.2メートル・樹高25メートル

月見祭

祭礼は旧暦8月15日、中秋の名月前後の土日に行われる「月見祭」(9月上旬 – 10月上旬)。氏子9町(下記参照)による勇壮華麗なふとん太鼓が奉納される事でも有名である。百舌鳥八幡のふとん太鼓は堺市の中で最大の規模で、2日間でのべ10万人以上の見物客が訪れる。

赤畑町(宮元のため、宮入の順番は毎年1番である)。
梅町
梅北町
土塔町
中百舌鳥町
陵南町
西之町
土師町
本町

交通

JR阪和線百舌鳥駅から南東へ15分。
南海高野線・泉北高速鉄道・Osaka Metro御堂筋線 中百舌鳥駅から南西へ20分。
南海高野線百舌鳥八幡駅から南へ15分。
南海バスもず八幡前(府道197号沿い)
南海高野線堺東駅前2番乗り場・JR阪和線もず駅前から深井駅行き・あみだ池行き。
泉北高速鉄道深井駅(東)1番乗り場から堺東駅前行き。
南海バスもず八幡前(府道28号沿い)
南海高野線・泉北高速鉄道・御堂筋線中もず駅前(南)3番乗り場から伏尾行き・中老人福祉センター行き・堺市立総合医療センター前行き。
泉北高速鉄道深井駅(西)4番乗り場から中もず駅前行き。

周辺

万代寺
光明院
法華寺

【出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』百舌鳥八幡宮

 

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